2012年01月12日

アンダールーシーア サンタールシーア

元ザ・ブルーハーツ、現ザ・クロマニヨンズのメンバーである真島昌利が作詞・作曲した「アンダルシアに憧れて」という歌があります。
マッチこと近藤真彦がカバーしてヒットした為、音楽ファン以外にも知名度が高い楽曲ですが、元々は真島さんが在籍していたTHE BREAKERS時代に歌われていたものだそうです。
THE BREAKERSの頃に歌っていたものと、CD化されたバージョンでは歌詞が大幅に変えられているのですが、ではどこがどのように変わっているのでしょうか。

まずBREAKERSバージョン。
(参考:http://www.youtube.com/watch?v=HMhbMcriNuA
--------
アンダルシアに憧れて バラを咥えて踊ってる
地下の酒場のカルメンと 今夜メトロでランデブー
ブラウンのズートスーツに ボルサリーノを粋に決め
ニートな靴を履いた時 電話が俺を呼び止めた

受話器の向こう側でボス 声を震わせながらボス
まずいことになっちまった トニーがちょっとミスをやり
シャーク団が言うことには 今夜港で決着を
立入禁止の波止場の 第3倉庫に8時半

誰か彼女に伝えてくれよ 上りのホームで待ってるはずさ
ちょっと遅れるかもしれないけれど 必ず行くからそこで待ってろよ

額縁の裏の金庫に 隠したコルトを取り出し
鏡の前でニ、三回 気障にポーズを決めてみる
コルトは俺のパスポート 冷たい光に魅せられ
はみ出しの烙印押され 裏通りを走ってきた

タクシーで港に着くと ボスたちは先に来ていた
怪しい気配に気づくと 俺たちは囲まれていた
暗闇からマシンガンが あざけるように火を吹いて
ボルサリーノは弾け飛び コンクリートにキスをした

誰か彼女に伝えてくれよ 上りのホームで待ってるはずさ
ちょっと遅れるかもしれないけれど 必ず行くからそこで待ってろよ

激しい痛みが体を 電光石火に貫き
はみ出し者の赤い血が 空っぽの世界を染める
薄れて行く意識の中 俺はカルメンを思った
アンダルシアの青い空 グラナダの歌が聴こえた

誰か彼女に伝えてくれよ 上りのホームで待ってるはずさ
ちょっと遅れるかもしれないけれど 必ず行くからそこで待ってろよ
必ず行くからそこで待ってろよ
必ず行くからそこで待ってろよ
--------


次にCD化されたバージョン。
(参考:http://www.youtube.com/watch?v=HLU6DC_YjsY
--------
アンダルシアに憧れて バラを咥えて踊ってる
地下の酒場のカルメンと 今夜メトロでランデブー
ダークなスーツに着替えて ボルサリーノを粋に決め
イカす靴を履いた時に 電話が俺を呼び止めた

受話器の向こう側でボス 声を震わせながらボス
ヤバイことになっちまった トニーの奴がしくじった
スタッガーリーは言うのさ 今夜港で決着を
立入禁止の波止場の 第3倉庫に8時半

誰か彼女に伝えてくれよ ホームの端で待ってるはずさ
ちょっと遅れるかもしれないけれど 必ず行くからそこで待ってろよ

額縁の裏の金庫に 隠したコルトを取り出す
俺の手が震えてるのは 何も怖いわけじゃないさ
コルトは俺のパスポート 黒くて固いパスポート
スタッガーリーの頭に こいつをぶち込んでやるさ

タクシーで港に着くと ボス達は青ざめていた
怪しい気配に気づくと 俺たちは囲まれていた
暗闇からマシンガンが あざけるように火を吹いた
ボルサリーノははじけ飛び コンクリートにキスをした

誰か彼女に伝えてくれよ ホームの端で待ってるはずさ
ちょっと遅れるかもしれないけれど 必ず行くからそこで待ってろよ

激しい痛みが体を 電光石火に貫き
はみだし者の赤い血が 空っぽの世界を染める
薄れていく意識の中 俺はカルメンと踊った
アンダルシアの青い空 グラナダの歌が聞こえた

誰か彼女に伝えてくれよ ホームの端で待ってるはずさ
ちょっと遅れるかもしれないけれど 必ず行くからそこで待ってろよ
必ず行くからそこで待ってろよ
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違うところをピックアップしてみました。(B:BREAKERS版 M:マッチ/真島昌利版)

B:ブラウンのズートスーツに
M:ダークなスーツに着替えて

B:ニートな靴を履いた時
M:イカす靴を履いた時に

B:まずいことになっちまった トニーがちょっとミスをやり
M:ヤバイことになっちまった トニーの奴がしくじった

B:シャーク団が言うことには
M:スタッガーリーは言うの

B:隠したコルトを取り出し 鏡の前でニ、三回 気障にポーズを決めてみる
M:隠したコルトを取り出す 俺の手が震えてるのは 何も怖いわけじゃないさ

B:コルトは俺のパスポート 冷たい光に魅せられ
  はみ出しの烙印押され 裏通りを走ってきた
M:コルトは俺のパスポート 黒くて固いパスポート
  スタッガーリーの頭に こいつをぶち込んでやるさ

B:ボスたちは先に来ていた
M:ボス達は青ざめていた

B:あざけるように火を吹いて
M:あざけるように火を吹いた

B:俺はカルメンを思った
M:俺はカルメンと踊った

B:必ず行くからそこで待ってろよ×2
M:必ず行くからそこで待ってろよ×1


やっぱりマッチ/真島昌利版の方が洗練されているように思いますね。
でもBREAKERS版にも荒削りで素朴な感じがして、これはこれで悪くありません。
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2012年01月08日

ハーモニーランド号の記憶

その昔、JR九州 日豊本線に「ハーモニーランド号」という快速列車が走っていたことを記憶されている方はどれだけいらっしゃるでしょうか。

↓こういう色をしていたのですが
kuha411.JPG
この形式の車両かどうかは定かではありません。あくまで色見本ということで。
ヘッドマークが、普通列車は「タウンシャトル」となっていたのですが、ハーモニーランド号は専用のがあったような気がします。

大分は大都市とは違い、快速列車というもの自体が珍しい代物です。
大都市圏ではJRでも私鉄との競合から別料金不要の快速列車を走らせていますが、田舎の方では快速がないばかりか、有料特急に誘導するよう仕向けられていることが多いのです。
実際の話、特急は30分に1本なのに普通(各駅停車)は1時間に1本、なんてこともざらにあります。
それだけに「ハーモニーランド号」なる快速列車の存在はある意味衝撃的でした。

「ハーモニーランド」は大分県早見郡日出町にあるサンリオのテーマパークですが、そこへのアクセス鉄道のような形で設定されていたように思います。
運行形態ははっきり覚えていませんが、どうやら杵築−佐伯間を走っていたらしく、途中の日出駅には最寄駅として止まっていたと思われます。
なお、日出駅ないし杵築駅からは路線バスに乗り継ぐ必要があります。

私はハーモニーランド号に乗ってハーモニーランドに行ったことはありませんが、大分から臼杵に帰る(当時実家が臼杵にあった)のに乗ったことがあります。
快速だから早く帰れるんじゃないかと思っていたのですが…
実際の所要時間は、各駅停車と大差ありませんでした。

日豊本線の大分以東(以南)は単線です。
そして、ダイヤは小倉での新幹線連絡を最優先に組まれています。
優先順位は 上り特急→下り特急→大分方面行普通→大分から離れる方面への普通 となっているような雰囲気があります。
確証はありませんが、指定席を取っていた新幹線に遅れたら大変なのは理解できますし、大分駅は4方向(日豊線上り/下り/久大本線/豊肥本線)に路線が出ているので、その乗り継ぎを考えたらそうせざるを得ない事情は分かります。
そうなると、大分から臼杵へ行く普通列車は優先度が下になるわけです。
そして、大分−幸崎間はそれなりに利用者も多いわりに列車の本数が少ないため、なるべく多くの駅に止めなければ利便性が損なわれます。

そういった事情から、ハーモニーランド号も大分−幸崎には全駅に停車し、幸崎駅では上り列車との行き違い待ちをしなければなりませんでした。
その幸崎駅での待ち時間が、たしか15分くらいだったと記憶しています。
今でも普通列車に乗ると10分近く行き違い待ちを強いられる時があるのですが、ハーモニーランド号はそれよりも長い時間留まっていたのです。
よって、幸崎までは各駅停車、幸崎で長時間留まるわけですから、実際の所要時間は普通列車とほとんど違いがありませんでした。
幸崎を出たら佐志生、下の江、熊崎、上臼杵を飛ばして臼杵に停まるので、快速と言えば快速に違いありません。
でも、実際の所要時間を考えたらとても快速とは言えない代物でした。

なお、車両設備も普通列車と同じでした。
今はオールロングシートも多いのですが、当時はドア付近がロング、その間にボックスがあるものが主流で、ハーモニーランド号も同じだったと記憶しています。

あまりにも無意味だったせいか、ハーモニーランド号は短期間で運行を終えました。
それ以来、同区間には快速が設定されていないはずです。
あれから20年近く経った現在、快速どころか特急すら小倉まで直行できる便が少なくなり、大分から先に行く時は乗り換えを強いられることが多くなりました。
つい先日まで古き良き懐かしの485系が3両編成で運行されていて、それを見るたびに侘しい気持ちになっていたものです。

↓485系
JRQ485.JPG
最後はこの「きりしま・ひゅうが」塗装でしたが、全身真っ赤で「RED EXPRESS」と書かれていたものも長く運用されていました。

今使われているのは783系
hyper.jpg

または787系

JRQ787.JPG

です。


寂しいとは言うものの、30年前となるとまだ電気機関車が引っ張る客車列車が運行されていたのですから、それを考えると進歩したと言えるのかもしれません。
初めて「電車」に乗った時、その加速の速さに感動したのを今でも覚えています。
今となっては電気機関車の発進時の「ガッチャン、ゴットン…ゴットン…」という音も懐かしいですけどね。
大分から臼杵まで、電気機関車の時代は1時間くらいかかっていましたが、電車になって45分くらい(特急なら35分くらい?)に短縮されました。
スピードアップしたのはいいのですが、その分両数が減ったりオールロングシートになったり、窓を開けられなかったり、なんだか味気ない気もしないではありません。
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2012年01月07日

あんこ椿は以下略

昨日、マルショクでおはぎ(半額)を買って食べました。
おはぎは当たり外れの激しい和菓子で、おいしいものとそうでないものの差が大きく、買って後悔することも多々あります。
私の場合、あんこの味にはあまりこだわらないのですが、中身の米の方にはそれなりにこだわりがあります。

私が好きなのは「うるち米ともち米の混合、米は半殺し」のものです。
もち米メインでべチャッとしたのは好きではなく、米のつぶつぶ感が残っていて「おにぎりをあんこでくるんでみました」風のものが好みです。
ジャスコで売られているものはわりとべったりした感じなのであまり買いませんし、和菓子屋で売られているものは値段のわりにちょっと小さく、またべったり気味なので敬遠してしまいます。

逆に、マルショクで売られているものは食感が良くて、さらにあんこの味も適度な塩味とちょっと抑え気味の甘さがマッチしていて自分好みなので、夜に買い物に行って値引きされているものを見た時にはついつい手が伸びてしまいます。

でも、一番好きだったのは子供の頃、地元の生協で売られていたジャンボおはぎです。
値段は普通のおはぎ並なのに大きくてお得感があり、また米の食感も文句なしで、手作り感もあって非常に満足していた覚えがあります。
普通のおはぎも絶品でしたが、きな粉のおはぎはもっとおいしくて、あれを上回る味のきな粉おはぎにはいまだにお目に掛かれていません。
今では地元の生協もほとんど無くなっていて、残っている店も惣菜コーナーそのものがかつてのものとは大きく変化したので、どうにも好きになれません。

完全に余談ですが、コロッケも今は大きめのパン粉が使われていてザラザラした舌触りで、冷めたら味も落ちますし、かつての細かいパン粉が使われて冷めても普通に食べられるコロッケが無性に食べたくなる時があります。


あんこと言えば、回転焼きやたい焼きも好物です。
回転焼き…「今川焼き」や「大判焼き」などいろんな呼び名がありますが、私は地元で一般的な「回転焼き」と呼ぶことが多いですね。
中身は赤(黒)あんでも白あんでも、カスタードクリームでもなんでも食べます。
でも、中身があまり自己主張しすぎているのはそんなに好きではありません。
皮はもちもちしたタイプよりふんわりしたタイプが好みです。

そして、何よりも「皮とあんこのバランス」こそがたい焼き&回転焼きの命です。
関西で有名な「御座候」は皮が薄くてあんこの量が多いので、いくつも食べると食べ飽きます。
薄皮たい焼きというものもありますが、それも好みではありません。
甘さ控えめで大量のあんこが入っているより、皮が厚くて甘めのあんこが入っているものの方が正しい、と私は思います。

そして、たい焼きは「しっぽまであんこが入っていない」ものを積極的に選びたい。
しっぽは最後に口直しするためにあるのであって、そこにアンコが入っていたら口直しになりません。
更に、型からはみ出た皮がくっついていて、カリカリの食感を楽しめるものが理想です。
たかがたい焼き、されどたい焼き。それなりにこだわりを持って食したいものです。
ちなみに、当然のことながら「頭から食べる派」です。しっぽから食べたら口直しになりません。
(「しっぽではなく尾びれではないか」というツッコミは却下)


当たり外れが激しい和菓子といえば、「きんつば」がその筆頭。
適当に作られたきんつばは、薄皮の食感が気持ち悪く、あんこもおいしくありません。
でも、ちゃんと作られたきんつばは「これぞ究極の餡菓子!」と言いたくなるくらいおいしいものです。
『ドラえもん』に出てくる有名な台詞「このきんつばのうまいこと!」、子供の頃はピンと来なかったのですが、おいしいきんつばに出会った時、その意味がよく分かりました。
小豆あんでも芋あんでもいいのですが、本当においしいきんつばを食べた時には「この世にこんなおいしいものがあるのか!」と思うほどです。
小麦粉の皮が自己主張していなくて、あんの旨味がたっぷりのきんつば。
焼きたてのほんのり温かいきんつば。
久しく食べていないのですが、また食べてみたいものです。
posted by グリンゴ at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月05日

ざまあみろ、うすのろニグロめ

「ブッチャー」とは本来「屠殺人」、つまり食肉になる動物を殺す人を表す言葉です。
しかし、日本における「ブッチャー」は、プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーを表す言葉として通用してきました。
そのブッチャーがついに引退を決意したそうです。

ブッチャーが電撃引退表明!3・20両国で引退セレモニー検討へ
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マット界を代表する悪役プロレスラーとして長年、活躍した“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャー(70)が引退を電撃表明した。武藤敬司(49)、菊タロー(35)と組んで試合に出場したブッチャーだが、歩行器が手放せないコンディションでリングには上がれず。試合後、マイクを握ると「ブッチャーは2〜3カ月以内に、必ず引退します」と明言した。

ついにこの日が来てしまった。昨年8月27日、IGFの両国大会にタイガー・ジェット・シンとともに出現した時も、ブッチャーは歩行器を使用。猪木との乱闘でもリングインしなかった。
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ブッチャーは昨年、米国で行われた「レッスルマニア」に殿堂入り表彰の為に出席していたのですが、その時も杖をつかなければ立っていられない状態にあり、体調が悪いことは明らかでした。
その前にも日本の「ハッスル」などのリングで単発の試合をこなしてはいたのですが、ブッチャー自身はほとんど動かず、往年の必殺技である地獄突きとエルボードロップを見せるだけのお客様的な扱いに終始していました。
その動きを見ればもはや現役レスラーと言えるような状態でないことは明らかであり、まっすぐ立てなくなった時が引退の時だろうと、私も漠然と感じていました。
そして、遂にその時が来たようです。

アブドーラ・ザ・ブッチャー。本名ゼーラス・アマーラ。
……というのは、梶原一騎原作の漫画『プロレス スーパースター列伝』によって広められた誤解です。
実際のところはWikipediaを見ても諸説あってよく分かりません。日米のWikipediaで共通しているところをピックアップすると「ローレンス・シュリーブ」ということになるようです。

日本では主に全日本プロレスにおける活躍が知られています。
ジャイアント馬場やテリー・ファンクと血みどろの死闘を繰り広げていました。
「屠殺人」のリングネームは伊達ではありません。その名の通り、フォークだの五寸釘だのをリングに持ち込み、レフェリーが見ていようが見ていまいがお構いなしに凶器攻撃をしまくって相手を血の海に沈めてきました。

また、シンガポールのガマ・ナテオの指導により、カラテ殺法を身につけました。
焼けた石を入れたバケツに突きを入れる練習を繰り返すことで、その練習で火傷をしないほどの高速な突きができるようになり、「地獄突き」と称してプロレス技に取り入れていました。
……これも梶原一騎の創作です。でも地獄突きを得意技としていたのは事実です。
喉笛を襲う地獄突きは強力で、一撃で試合の流れを変えてしまうほどの威力を誇っていました。
喉への突きはもちろん反則ですが、プロレスではレフェリーの5カウント以内の反則はすべて許されるので、堂々と技として使っていました。
この地獄突きと、体重を利用したエルボードロップにより、世界の一流レスラーを次々と倒し、トップレスラーの座に躍り出たのです。

ブッチャーの名勝負として知られているのが、世界オープンタッグ選手権(全日本プロレス主催のタッグリーグ戦、旧日本プロレス系フリーや国際プロレス所属選手も参加した為「オープン」と銘打たれた)の最終戦、ブッチャー&ザ・シーク組対ザ・ファンクス(テリー・ファンク&ドリー・ファンク・ジュニア)の試合。
シークもブッチャーも反則攻撃なんでもござれの凶悪レスラー。
それに対してファンクスは正統派、クリーンファイトで人気のアイドル的存在(当時は)。
ブッチャーはそのファンクスの腕や額をフォークでブスブスと刺しまくり、大流血に追い込んだことで、この大会は異常なまでの盛り上がりを見せました。

その後、全日本プロレスは世界オープンタッグ選手権を元に年末恒例の大会とするべく、「世界最強タッグリーグ戦」を開催しました。このリーグ戦は2011年現在もなお続けられている伝統的なイベントとなっています。
第2回世界最強タッグリーグ戦の最終戦は、ブッチャー&シーク組対ファンクスの再戦となりました。
この試合ではブッチャーの地獄突きがシークに誤爆したのをきっかけに、逆上したシークが火の玉をブッチャーに投げつけ、壮絶な仲間割れを起こしました。
その後シークとは何度かシングルで戦ったものの、すべて両者反則の無効試合になるという大荒れの展開となりました。
その試合中、実況席にいた倉持隆夫アナウンサーがシークに襲われ、大流血してしまったという逸話も残されています。これはカジセンセの創作ではありません。
シークと仲間割れした後のタッグパートナーが、故キラー・トーア・カマタです。
とんねるずの特撮風コント『仮面ノリダー』に、石橋貴明扮する「トーアカマタ男」というのが出てきたことがあるのですが、その元ネタがこのカマタです。

全日本プロレス中継を日本テレビが行っていたという関係で、日本テレビのバラエティ番組に出演することも度々ありました。
リング上では凶悪でしたが、バラエティ番組ではなんとなく愛嬌のある暴れっぷりを見せていたことで、悪役でありながらお茶の間の人気者であり、特に地方興行ではブッチャーが看板レスラーの一人として集客に貢献していた時代もありました。
一般の知名度も高く、小中学校では太っている子に「ブッチャー」というあだ名を付けることが多かったと伝えられていますが、私もその実例を目の当たりにしたことがありますから、その噂は間違いなく本当です。
故・橋本真也も若手の頃からアンコ型体系であり、若手時代のあだ名は「ブッチャー」で、武藤敬司は今だにそう呼んでいます。

しばらく全日本プロレスで暴れ回った後、新日本プロレスに引き抜かれて移籍しました。
全日本プロレスは新日本プロレスの凶悪レスラーだったタイガー・ジェット・シンを引き抜くという報復に出て、結果的には両団体の凶悪レスラーのトレードのような形となりました。
しかし、ブッチャーとアントニオ猪木はスタイル的に噛み合わず、新日本ではあまり存在感を発揮することができませんでした。

後に全日本プロレスに復帰すると、TNT(後にWWFで活躍し、プエルトリコのトップレスラーにもなったサビオ・ベガ)とのコンビでタッグ戦線に参戦したり、かつては「顔も見たくない」と嫌い合っていたタイガー・ジェット・シンと「世界最凶コンビ」を組んで暴れまわったりしていました。
しかし、その頃既に衰えを見せていたブッチャーではトップ戦線に食い込むことはできず、シンと喧嘩別れした後はジャイアント・キマラ(II)や泉田純と組んで、前半の「楽しいプロレス」を展開するようになりました。

途中、アメリカのメジャー団体「WCW」にも参戦していた時期があります。
後に人気レスラーになるミック・フォーリー、当時カクタス・ジャックの友人として出ていました。
カクタス・ジャックはブッチャーを「アビー」と呼んで親しくしていたものの、しょっちゅう仲間割れしてはすぐ元の鞘に収まるという展開を繰り返していたものです。
たしか電気椅子マッチでの敗戦を最後にWCWから退団したと記憶しています。
電気椅子マッチは後にビデオで見たことがあるのですが、暴力描写制限なのか大流血戦にはならず、迫力に欠ける試合でした。

馬場が一線を退いてからは全日本プロレスからの招聘が少なくなったことから、他団体にも参戦するようになりました。
中でも東京プロレスの大阪大会で行われた高田延彦とのシングルマッチは「異次元対決」と呼ばれ、実際は凡戦に終わるも注目を集めました。
ジャイアント馬場が死去し、三沢光晴率いるプロレスリング・ノアの独立後はまた全日本のリングにも上がり、苦しい時期の全日本を支えました。

「ハッスル」にも参戦したことがあります。
最初の参戦ではレイザーラモンRGと対戦したのですが、私はRGを血祭りに上げてくれ!と期待して見ていたのに、その頃は既にコンディションも悪化しており、ほとんど動かずに地獄突きとエルボードロップだけで試合を終わらせてしまいました。
タイガー・ジェット・シンとのリバイバル対決もありましたが、これもかつての迫力には及ばず、流血もなく凶器もほとんど出ず、ただ場外で殴り合うだけで終わりました。
この頃はもう立っているだけでやっとという感じで、もはや現役プロレスラーと呼べるような状態にないことは明白でした。

去年はアントニオ猪木主催「INOKI GENOME」にも参加しましたが、猪木と真正面から殴り合うだけの余力もなかったようで、ほとんど接触しないまま終わりました。

残念ながら、かつての怖いブッチャーはもう見られません。だから引退すると聞いても、残念ではありますが、もったいない、まだやれるんじゃないかという感情はありません。
なにしろ古稀に差し掛かろうという年齢で、あれだけの体重を抱えているのですから、動けなくなるのは仕方ありません。

今はただ「お疲れさまでした」と言いたい気持ちです。


ブッチャーのことを詳しく知りたい方は、前述した梶原一騎原作『プロレス スーパースター列伝』を読むことをお勧めします。
新刊本を入手することはできないでしょうが、古本屋にはしばしばセットで置かれていますし、漫画喫茶にも置いているところはあります。
『〜列伝』の記述は大半がカジセンセの創作ですが、でもプロレスラーに対する幻想が膨らむ内容で、読んでいて楽しいことだけは保証します。


最後に『〜列伝』におけるブッチャー最大の名台詞で締めたいと思います。

「はずかしがる女の子のパンティーをぬがすみたいでおもちろ〜い」

…失礼しました。これではありません。


「100万エンもってくるか、きえな!」
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2012年01月04日

酒席トラウマについて

本来、こういった話は表に出すべきものではないのかもしれません。でも、自分の生活史を振り返る中で、一度まとめておいた方がよいのかもしれないと思い、考えを整理する意味もあってそれについて書いてみることにしました。

自分には酒の席に対するトラウマがあります。
それを思い出したきっかけは、昨年12月某日のある集まりでした。
かねてからそういった場を作ってほしいと訴えてきたこともあり、一度は行っておきたいと思っていたので、それに出席することにしました。
しかし、私はその場で酒席におけるトラウマを呼び覚ましてしまい、居たたまれなくなってその場から逃げ出してしまったのです。


どうしてトラウマを抱えるようになったのか、生活史を順に追って説明します。

私が酒を飲み始めたのは社会人になってから。
高校を卒業して某電機メーカーに就職した後、職場の先輩に連れられて行ったのが最初です。
たびたび先輩や上司に連れられて飲みに行ったり、忘年会や歓迎会、送別会などの場で酒を飲んだりしていました。
しかし、時はバブル崩壊真っ最中、一向に後輩が増えない状態にあり、更に自分の能力が劣っていたことで、酒席では常に下っ端として説教されたり絡まれたり、楽しいお酒を飲めた機会はそんなに多くありませんでした。
当時の私を知る人は「いや、楽しそうに飲んでたやん」と言うかもしれません。
でも実際の話、かなり無理をしていました。
深酒することもありましたが、それは酔っ払いでもしないとやっていられなかったからです。
ただ、酒はともかく食事は好きでした。寮生活で貧しい食生活を送っていましたから、たまのごちそうはありがたかったというのもあります。

当時、仕事は満足にできなくてずっと自己嫌悪に陥っていましたし、また元々人付き合いが苦手ということもあり(今にして思えばそれは「特定不能の広汎性発達障害」が典型的な形で表れていたのですが、その頃は自分が障害者だとは気づいていませんでした)、プライベートはほぼ引きこもり状態でした。
そうして悶々とした暮らしが続いた後、忘れもしない2000年、いよいよ21世紀も目前だというのにこんな状態ではいけないと思い、交友関係を広げることにしました。
目を付けたのは、当時流行だった「メーリングリスト」と、Yahoo!掲示板の地域コミュニティ。
インターネットを通じた交流が何かのきっかけになればと思い、いろんなコミュニティに入りました。
中でもお気に入りだったのが、10年間暮らしてきた奈良県のコミュニティ(後に大阪に転勤)と、地元 大分県の○○年生まれコミュニティ。
それらのコミュニティでは「オフ会」もあり、そこでようやく人並みの人付き合いができると舞い上がって、自分の居場所を見つけたようなつもりになっていました。
でも、それまで10年近くも人付き合いを怠ってきたということ、そして(今思えば)発達障害ならではの空気の読めなさもあり、他人が迷惑と感じられる言動を繰り返してしまいました。
しかし、コミュニティのメンバーは自分のどういった言動を不快に感じたのか、具体的な指摘はありませんでしたから、実際の話今でも分かりません。
何が悪いのか分からないから不適切な言動を繰り返す。その悪循環でした。

最初に追い出されたのは○○年生まれコミュニティ。
そこにお気に入りの女性がいたのですが、ある日コミュニティ外のメンバーBBSでその女性に批判されていたのを見つけ、逆上してその女性にクレームを入れてしまいました。
しかし、そのBBSを管理していた男性メンバーからも「前から気に入らないと思っていた」と言われてしまい、愕然としました。
その男性メンバーとはオフ会の席で一度しか顔を合わせておらず、Yahoo!掲示板上でもそのメンバーに対して悪意のある発言をした覚えはありません。
にもかかわらず、不快感を与えてしまっていた。その事実に私はショックを受けました。
思い当たる節は、そのオフ会の写真が男性メンバーのサイトで公開されていた時、自分の回線がPHSのみなし音声通信で非常に遅かったので、ファイルサイズの大きな写真を読み込むのに1枚10分以上かかったので「重かったよ〜」(それくらいの軽い表現)と言ったことくらいです。
そのコメントに対する返信が「そりゃあ悪かったね」みたいな表現だったので、その時点で既に嫌われていたのでしょう。
しかし、その時点で嫌われるようなことをした自覚はなかった為、こちらも逆上して喧嘩を売るような形になってしまい、結局喧嘩別れのような形になってしまいました。
オフ会は、普段顔を合わせない人とのコミュニケーションの場です。
そのオフ会をめぐって、自分が嫌われてコミュニティを追い出されてしまった。
ですから、最初にトラウマを負ったのはおそらくこの出来事です。

次に追い出されたのは奈良県メーリングリスト。
そこではそれなりの期間、自分も楽しく参加していました。
何度もオフ会をして、楽しい酒を飲んだこともありました。
しかし、こちらのコミュニティでもいろいろやらかしていたようです。
私にも言い分はありますが(あの人の言動が許されてなぜ自分は駄目なの?ということがあります)、結局大多数が私の敵に回ったわけですから、結局悪いのは私なんでしょう。
自分は楽しみ、周りを楽しませてもいるつもりだったのに、周りの皆は不快感を覚えていた。そんな事実を知り、たいへんなショックを受けました。
それも自覚がないだけに直しようがなく、ここを追い出されたのは大きなダメージとなりました。
それがきっかけで「見知らぬ人とのコミュニケーションの場」に対して拒絶反応を示すようになったのです。
そればかりではありません。酒席そのものに対しても拒絶反応を示すようになりました。
それ以来、職場の飲み会も出席するのをなるべく控えるようになりました。

それと並行してうつ病の治療も始まりました。
仕事の問題に加えて上記のプライベートの問題、そして発達障害から来る問題もあったのでしょう、治るどころか悪化の一途をたどりました。
最終的にはうつ病の悪化で某電機メーカーを退職するに至りました。

その後は毎日抗うつ剤や安定剤を飲むようになり、酒そのものがほとんど飲めない体になってしまいました。
酒抜きで食事だけ、と思っても、みんなでワイワイ騒ぐような場にはどうしてもなじめず、もう団体で食事するだけでも嫌になりました。

そこで冒頭の話に戻ります。
入店するまではそのトラウマがこれほど重症だとは思っていませんでした。
ところが入店した瞬間、酒を飲む場に対して拒絶反応が起き、すぐさま帰りたい衝動に駆られました。
でも、予約も入れていましたし、いきなり帰るのも失礼だし、しばらくすれば落ち着くかもと思って椅子に座りました。
注文したのは「ミネラル・ウォーター」。
これは別にトラウマとは関係なく、クリスティの『オリエント急行の殺人』を読んだのをきっかけに「ミネラル・ウォーター」の響きが妙に気に入ってしまい、水を飲むのが好きになったからにすぎません。
もちろんアルコールを飲めないというのもありますが、あえて烏龍茶や清涼飲料水ではなく水を選んだのはそれだけの単純な理由です。

しかし、水を飲んでも落ち着きません。
つきだしの枝豆も、最初に出されたポテトサラダにも手を付ける気にはなれませんでした。
しかも、目の前には鍋用のカセットコンロまであります。
みんなで鍋をつつくなんて、今の私にはとても受け入れられそうにありませんでした。
そうしているうちにどんどん自分の気持ちが落ち込んできて、どうにも耐えられなくなって、「ごめんなさい、帰ります」と言うだけの気力もないまま、その場から逃げ出すように帰ってしまったのです(お金は前払いでした)。
帰宅してしまえば普段通りの自分、何事もなかったように振る舞うことができたのですが。

実際の話、ここまで強いトラウマを抱えているという自覚はなかったのですが、今回それが痛いほどよく分かりました。
おそらく、小分けされた軽食をつつく分には大丈夫だと思います。
でも、みんなで取り分けるような食事は、おそらく家族同士くらいでしかできないのではないかと感じています。

「特定不能の広汎性発達障害」の人がみんな酒席がダメなわけではないでしょう。
私もトラウマを抱えるまではある程度普通にすることができていましたから。
でも、複合要因でそれができなくなることもある。
理解を求めるのが難しいことは分かっていますが、理由なしに拒絶しているわけではないということだけは理解してもらいたいと思います。
posted by グリンゴ at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ガチな話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月16日

まっちー来分

「大阪に来る」ことを「来阪」と言う。なら「大分に来る」ことは「来分(らいぶん)」と言っても差し支えないのではないか。

町村信孝20111113 PB130032.JPG

去る2011年11月13日、自由民主党所属の衆議院議員 町村信孝氏が来分し、街頭演説をしていたので話を聞きに行きました。
町村氏は、岸信介や福田赳夫の流れを汲む「清和政策研究会」の会長、町村派の領袖として知られています。
世が世なら総理総裁候補の一人なのですが、現在自民党は下野しているので、公的には無官の人となっています。
父親は元北海道知事の町村金吾、つまり二世議員です。
二世議員で地盤もあり、総理総裁候補と目されながら、先の総選挙では小選挙区で落選(比例復活当選)しました。町村氏の敗北は自民党大敗の象徴として強く印象に残っています。
ちなみに同選挙区で当選した民主党議員が政治献金疑惑で辞職に追い込まれた為、町村氏も辞職して補選に出馬し、堂々の返り咲きを果たしました。
(なぜわざわざ辞職したのかというと、比例選出議員が辞職すると次点が繰り上げ当選するから党としては議席は現状維持で、補選で勝てば更に1議席上積みできるからです)

清和会のボスであるということで、政治的なスタンスは師匠格の岸や福田の傾向と同じ「親米タカ派」です。
経済面では「財政規律」論者、つまり財政健全化を優先し、消費税を増税したり、福祉予算、公務員人件費を削減することを訴えています。
ぶっちゃけ私のスタンスとは真逆です。私は汎アジア主義、九条護持、福祉国家論ですから。

でもまあ、せっかく町に出る用事がある時にたまたま街頭演説をしていたということで、政界の大物でもありますし、ちょっと話を聞いていこうかと思った次第です。


場所は「大分の渋谷」ことスクランブル交差点のところ(トキハ斜向かい、フォーラスとパチンコ屋の間)でしたが、人通りが多いわりに立ち止まる人も少なく、集まりも悪くて、さして期待もされていないということがなんとなく伝わってくるような雰囲気でした。

演説の内容ですが…

中身空っぽ、無為無策

という印象でした。
なにしろ演説のほとんどが「民主党が悪い」の一辺倒で、自身がどんな国家像を描いているのかまったく分かりませんでしたから。
批判一辺倒なんてことはかつての社会党がやっていたことであって、二大政党の一方の極であり、次回の総選挙で政権獲得を狙っている政党の、それも総理総裁候補の言うことではありません。

具体的な話は「消費税を上げます」それだけ。
ストレートな言い方はしていませんでしたが、「消費税率の議論から逃げてはいけない」と言っていましたから、要するに上げるんでしょう。
「民主党が消費税率を上げるなら総選挙で信を問え」とも言っていましたが、まあそれは当然のことで、先の総選挙で民主党は「4年間は消費税を上げない」と公言していたのですから、上げるならその前に選挙の洗礼を受けるべきです。そのこと自体は私も同意します。

大事なことなのでもう一度。
町村氏は「消費税を上げます」と言っています。
次の総選挙ではその点留意して投票しましょう。

震災対応に関しても語っていました。
「民主党の対応は遅い。我が党ならもっとうまくやれた」とのこと。
自民党に任せていたら福島第一原発はもっとひどいことになっていたようにも思うのですが、まあ本人がそう思っているならそれでいいです。
でも、阪神淡路大震災の時の対応が早かったことをもって、東日本大震災の対応を批判するのは筋が通りません。
阪神淡路は被害が局所的だったのに対し、東日本では被害が広範囲にわたって自治体の機能まで麻痺したことに加えて原発の問題もあり、対処すべき事柄は比較にならないほど多いのですから。
阪神淡路に引っ掛けて「ご当地出身の村山首相」をヨイショしていたのも、なんだか媚を売っているようにしか感じられませんでした。

もう一点、TPPについても触れていました。
北海道が地元ということもあるのか、一応「TPP反対」と言っていたのですが、それほど強い調子で反対していたわけではありませんでした。
TPPを推進している勢力が米民主党と日本の民主党であるということで、親米といっても親共和党の清和会としては必ずしも賛成しなくてもよい立場にあるわけですが、それでもあまり熱意をもって訴えていたようには見えませんでした。
その代わり「為替の方がもっと大きな問題」として、円高に対する民主党の政策を批判する時間を長く取っていました。
でも、円高に対して具体的にどのような方法を取るべきかについてまったく触れることがなかったのはいただけません。
街頭演説を聞いただけの印象ですが、どうも町村氏は「経済音痴」なのではないかという気がします。


以前、小泉純一郎氏が首相だった頃の街頭演説を聞いたことがあるのですが、小泉氏は信念を持って強い口調で自らの主張を訴えていました。
私は小泉改革を否定的に見ていたのですが、それでも堂々とした演説ぶりには感心しましたし、あれでこそ首相であると、比較的良い印象を持ちました。
でも、今回の町村氏の街頭演説では、そのような印象はまったくありませんでした。
むしろ、こんなだから派閥の領袖でありながら小選挙区で落選したり、総裁候補に推されないんだと妙に納得してしまったくらいです。


今回のまとめ。

町村氏は総理総裁の器ではない。

総理総裁を狙うならもっとアピール力を身につけなければなりません。
世襲議員のひ弱さばかりが目につくようでは困ります。


今回は「ジョイフルの息子」穴見陽一が呼んだみたいで、町村氏の前に演説していたようですが、行った時間が遅かったので穴見氏の話は聞いていません。
穴見氏はなんというか、その…「顔が気に入らない」
私は民主党の吉良州司が嫌い(自民よりも右寄りだから)なので、自民党にはぜひとも奴を倒せるような候補を立ててほしいと思っているのですが、穴見氏が挑戦するならまず「締まった顔つき」を意識してもらいたいですね。あのニヤけ顔のポスターは絶対マイナスにしかならないですよ。
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2011年11月11日

今年を漢字一文字で表すと…「ぽぽぽぽーん」ですかね。

2011年11月11日ですね。11時11分に更新したいのですが、その時間は病院にいます。

2011年「ユーキャン新語・流行語大賞」の候補となる言葉が発表されました。

新語・流行語大賞 2011 ノミネート語

聞いたことのない言葉が多くてさげぽよ。

それより気になるのが「今年の漢字」。
漢検協会が今年一年を端的に表現する漢字を一文字選び、清水の舞台でお坊さんが揮毫(きごう)するという、あれです。
自分なりの「今年の漢字」をちょっと考えてみました。

「震」
もっとも今年らしい字ですが、でもこれは東日本大震災一本やりですし、1995年に選ばれたこともあるので、あえて今年は選ばないかもしれません。

「災」
東日本大震災に加え、台風12号・15号の被害もありましたし、タイの洪水もありました。そして「人災」という言葉も、東電や原子力安全・不安院、菅内閣の対応を批判する文脈でよく使われていました。酷暑やユッケの食中毒も広義の災いです。
これの弱点は「震」と同様、2004年に既に選ばれているということです。

「原」
原発だけじゃん。ないわー。

「波」
プロレスリングWAVE…には関係なくて(でもWAVEも女子プロ界の中では存在感を見せたんですよ)、津波とアナログ停波があります。そして中東・北アフリカで連鎖した「民主化の波」。

「水」
津波、原発の冷却水や汚染水、水素爆発、ミネラルウォーター買占め、台風に伴う豪雨と堰止(せきとめ)湖、タイの水害がありました。

「停」
福島第一原発の電源停止から冷温停止まで、そして計画停電。地上アナログ停波。欧州の経済危機と円高で経済は停滞しています。

「絆」
今年の漢字を揮毫する住職が書いた「絆」の字が岩手県に贈られました。
asahi.com:森清貫主の今年の漢字「絆」寄贈される -マイタウン岩手
震災復興もありますし、インターネットで「絆」を深めた人たちが中東・北アフリカの民主化を達成したというのもあります。なでしこJAPANのチームワークも。
でも、無理やりポジティブになろうとしているのがミエミエなのが引っかかりますね。


個人的には「波」を推したい。

私個人の1年は…「停」やな、やっぱり。人生が停滞している。
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2011年10月17日

アーサー王とあった男

マーク・トゥエーン作『アーサー王とあった男』(原題:A Connecticut Yankee in King Arthur's Court、アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー)読了。

読了ったって、実はこれを最初に読んだのは中学生の時でした。
最初に見たのは小学校の図書室で、その時タイトルに魅かれたもののなぜか読むことがなかったのですが、中学の図書室で再発見してそこで読んだという思い出のある作品です。
だから一回読んでいるのですが、改めて読んでみた次第。

原文に近いバージョンを読むのはなんとなく面倒な気がしたので、市立図書館にあった児童向けの抄訳本(岩崎書店「名作コレクション」1、亀山龍樹訳、D・N・ベアード絵)を選んだのですが、さすが児童向け、とても楽に読み進められました。
ただ、基礎知識として知っていないと理解しづらそうな箇所も少なくはなく、小学校高学年ではちょっと難しいかもしれません。
中学生以上ならスムーズに読み進められるはずですが、読書慣れしていない子はこれでも厳しいかもしれません。

ネタバレしますが、別に結末が割れているからといってつまらなくなるような作品ではないので気にしませんよ。

「アーサー王って誰?」というレベルの人が読めるかというと、まあ読めるでしょう。
ただ、中世ヨーロッパの王侯貴族や教会による支配構造や、民主主義の基本概念は少しでも理解しておかないと、作品の主題すら理解できないような気がします。
ちなみに歴史的に存在した“かもしれない”アーサー王は、中世ではなく古代の人です。
ローマ帝国がブリタニア(今のイギリス・ブリテン島を中心とした地域)から軍を引き、その後ノルマン人やアングル人・サクソン人・ジュート人が侵入する間に今のイングランド(イギリス内の地域、ロンドンがある)付近を治めたという、伝説上の人物です。
民族としてはケルト人に属します。ケルト人とは…長いからパス。イギリスの原住民とでも思ってください。
アーサー王は実在したかどうかも怪しいのですが、ともかくイングランドの英雄として語り継がれている存在です。
ただ、その伝説は中世のキリスト教文化で脚色され、当時の文化も中世に相当するものだったという誤解を招きやすい語られ方をしています。

ああ回りくどい。
正確性をある程度犠牲にしないとあらすじ説明もできませんね。

ともかく、そのアーサー王の時代に現代のアメリカ人がタイムスリップし、地域もアメリカからイギリスに飛び越え、迷信や古い支配構造にとらわれた社会の矛盾を目の当たりにして、アーサー王の治める土地に文明と民主主義を根付かせようと奮闘するという、まあそんなお話です。
「コネチカット」はアメリカの州の一つ、「ヤンキー」とはアメリカ北部の都市に住む白人のことです(不良のことではありません)。
ちなみに「ヤンキー」の対義語は「レッドネック」で、これは南部の農地に住む白人のことです。
スペイン人は「ヤンキー」と「レッドネック」を合わせて「グリンゴ」(よそ者)と呼びます。
また脱線するぅ。


普通の現代人が行ったのでは文明社会の機械を作ったりすることはできませんから、タイムスリップした人…現地では「ボス卿」と名乗るのですが、彼は機械と電気に詳しい技術者で、父は鍛冶屋、叔父は獣医でその知識もあるということになっています。
それは確かにそうで、いくら文明社会に住んでいても私が行ったところで鉄砲や通信機を作ることはできませんから、その辺の設定は多少強引ですがしっかりしています。
ボス卿はその知識や技術を生かしてさまざまな「魔法」と称する文明の利器を活用し、大魔法使いとしてアーサー王や国民から信頼を得ます。

アーサー王の時代は迷信と血統が支配していて、王侯貴族や教会が庶民から搾取することに誰も疑問を持っていません。
王や領主たちが何不自由なく暮らしているのに対し、自由民(一般市民)の暮らしは貧しく、さらにその下に奴隷がいるという社会です。
生粋のアメリカ国民であり、民主主義が価値観の根本に存在し、文明社会で科学的な思考を身につけていたボス卿からすると、それは非常に不合理なものであると感じられました。
そこで、科学の力で得られた信頼を源泉に、庶民に学問を教え、技術を教え、この貧しい暮らしを良くしようと奔走しました。
時にはアーサー王を王宮から連れ出し、身分を隠して庶民の暮らしぶりを見て回ることさえしました。
そして最終的には、皆が平等に暮らせる共和制、民主主義の世の中をアーサー王の国に現出させようとしました。

しかし、ボス卿の野望はあっけなく潰えます。
アーサー王は伝説通りの形で命を落としてしまいます。
庶民は依然迷信深く、教会の言いなりになってボス卿のもたらした科学文明をいとも簡単に捨て去ります。
ボス卿は必死に抵抗したものの、遂に大きな傷を負い、魔術師マーリンの呪いの為に13世紀の眠りにつきました。


……とまあ、そんな感じのお話です。
だから中世ヨーロッパの政治・文化や民主主義社会の基本を知らないと、主題が理解しづらいわけです。
民主主義擁護者の視点から階級社会の不条理を描き出すという社会派の側面と、タイムスリップによる「IF」(イフ)ものの側面が両立していますから、表面的に読むのと内容を理解して読むのでは感じ方も変わってくるのではないでしょうか。
私も中学生の時に感じた気持ちと、今感じている気持ちは明らかに違います。
かつては単に「IF」もののロマンしか感じ取れなくて、ワクワクドキドキハラハラの冒険譚のような読み方をしていたのですが、「民主主義は絶対正義なのか?」みたいな思想に触れた後の現在の自分には、単純明快な勧善懲悪のようなストーリー展開に少々違和感を覚えるところもなくはありません。
ただ、中学生の自分にも非常に面白く読めたことは確かですし、社会風刺の作品という点を除いても普通に冒険譚として読み応えのある作品であることは確かですし、むしろ自分の気持ちの方がすれてきたのかなぁ、という感じを持っています。

もう一つ、「IF」ものとしては非常にありがちな展開で、しかもご都合主義の超展開が目立つと感じる面もあるのですが、当時の作品としてはオリジナリティが高いものであり、むしろこの作品こそがパイオニアであって、そのフォロワーが山のように出ている今だからこそ感じるのだと想像がつきますから、そのことをもって作品の価値を貶めるのはおかしいかなと思います。

なにしろ1889年の作品です。
今読むと若干古い感じがするのは仕方ありません。
それでも古典的名作として、青少年向けの小説として、優れた作品であることは間違いありません。
今のこの歳になっても非常に面白く読めましたし、ぜひお勧めしたい本の一つです。


ちなみに、ピップとエクスカリバー・ジュニアは出て来ません。
グランウィーゼル!(ダ、ダ、ダ、ダーン!)
(ボケが古い上に分かりにくい)
posted by グリンゴ at 04:32| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

放射線と温泉

さっきイザ!ニュースサイトを見て知ったのですが、別府にあった被爆者向けの保養施設「原爆センター」(原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所)が5月末で閉鎖されていたそうです。

「別府原爆センター閉鎖へ 国内初の被爆者保養施設」:イザ!
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 大分県は25日、別府市の原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所(別府原爆センター)が今月末に閉鎖されると発表した。同センターは「利用者の減少や建物の老朽化が主な理由」と説明している。

 同センターは原爆症認定患者の温泉療養を目的に、昭和35年に国内で初めて設置された宿泊施設。平成16年までは施設内の診療所で、原爆症に対する温泉療養の効能の研究活動も行われた。

 利用者は被爆者健康手帳の所有者や家族ら延べ87万人。ピークの昭和62年度には約2万3千人が利用したが、10年ほど前に広島に大規模な温泉保養施設が完成したため、平成20年度以降は1万人を下回っていた。

 埴谷正法所長は「『心が癒やされる』と別府に来てくれた人もいたので、思いに応えたかった」と残念そうに話した。
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原爆投下が1945年で今が2011年ですから、もう66年経っているわけです。
当時20歳だった人でも既に平均寿命を超えているということになりますから、加齢による衰えで亡くなった方も相当数いることは想像に難くありませんし、また生存者でも既に旅行するにはつらい年齢になっています。
別府は、広島や長崎からわりと便利なところに位置していますし、公共交通機関も充実していますが、それでも年を取れば気軽に行ける距離ではありません。
これから利用者が増えることはない(非核という意味では「あってはならない」でもある)わけで、閉鎖されるのもやむを得ないのかもしれません。

昔から温泉は切り傷や火傷に聞くとされていたらしく、江戸川乱歩の『二廃人』という短編にも戦地で負った火傷を癒しに湯治に来たという人が出てきます。
原爆による火傷の跡が大きく残っている人もいますが、そういった人たちが奇異の目で見られずにゆっくり温泉に入れるというのが当施設の売りだったと思われます。
かつては診療所も設置されていたらしく、原爆に関わる諸疾病を包括的に診る、悪い言い方をすれば原爆が人体に与える影響のデータを取る施設として存在していたという面もあったのでしょう。
もちろんそのデータを参考にすれば各地の病医院で個別に診るよりは有効な治療法を提示しやすいでしょうし、被爆者にとっても、そして他の放射線障害を負った人たちにとってもメリットのあることです。

そして何よりも、差別的な目で見られることなくゆっくり温泉旅行ができるという心理面でのメリットは何者にも代えがたいものがあったことでしょう。

昔は「放射能がうつる」と誤解されることもあったようで、『はだしのゲン』にもそんな表現がありました。
おそらく直接被爆しておらず原爆投下後に広島入りしたのに、水や粉塵などに含まれる放射性物質に曝露して放射線障害を起こした人が出たことからそう考えられたのでしょう。
実際はうつることなんかないわけですが、放射線に対する知識が乏しい頃はその噂を否定することも難しかったわけです。
(今でもうつるだのなんだのと言っている人がいますが、人から人にうつることはありません。そこまで強い放射線を浴びることは原発の作業員ですらありません)

それとは別に、大きな火傷を負った人が温泉につかればどうしてもジロジロ見られたり、露骨に嫌な顔をされて不快な思いをすることが多かっただろうということは想像に難くありません。
でも、原爆センターで温泉につかるならみんな同類ですし、特別視されることもなく自然に温泉に入ることができたわけです。
家族で旅行し、ゆっくり温泉につかって、大分の山海の幸を味わい、美しい別府湾と鶴見岳を眺める。そりゃ気持ちいいですよ。
体にも心にも優しい保養所、何もない自分ですら行きたいくらいのものです。

ただ「原爆センター」と呼ばれる施設で「被爆者の為の保養所」という目的で建てられたものですから、単に改装、改称して誰もが利用できる施設として運営を続けるのは難しいことです。
別府や近隣の市町村にはもっと新しくて大きくて綺麗な保養施設がありますし、誰もが利用できる施設なら補助金だって得られないでしょうし、かといって被爆者対象に絞れば利用者は先細りですし。
別府の原爆センターは「歴史的役割を終えた」と言ってよいでしょう。
今後は治療実績やセンター内で起きたエピソード等々、記録として残しておけばそれで充分な気がします。大分合同新聞社さんヨロシク。


原爆禍の影響は年々薄れてきている。とは言うものの、現在は福島第一・第二原発の件で、改めて放射性物質と放射線の影響に注目が集まっています。
温泉にはわずかな放射性物質が含まれているという話はよく知られています。
(ちなみに別府温泉には含まれていないそうです)
俗にラドン温泉、ラジウム温泉と言われているものがそれに該当すると思われます。
これらは「ホルミシス効果」と言って、わずかな放射線を浴びることはかえって健康に良いという説があり、それに基づいてその効能を謳っているわけです。
実際の話、微量の放射線が人体に良い影響を与えるのか、悪い影響を与えるのか、どちらとも取れるデータがあるから「どちらとも言えない」というのが現在日本政府が取っている立場です。ちなみにWHOの見解は「悪い」一本ですが、その立場を取ればまず温泉地から批判が来るでしょう。
ラドン温泉の効能にしたところで、放射線が効いているのか、他の成分が効いているのか、単に温熱効果が効いているのか、何も効いていなくて単なる気のせいなのか(気のせい、プラシーボ効果を積極的に誘発する行動にはそれなりに意味がある)、それを明確に判断できるようなデータは揃っていないのです。
温泉には温熱効果があるので血行を良くすることは確かですし、皮膚病に効く成分が入っている温泉がある(全ての温泉ではない)ことも確認されています。
でも「放射線の効果」と断言できるものはないのです。

かといって「放射線はごくわずかでも危険」と断言できる証拠もまたありません。
自然放射線が強いとされている地域、たとえば有馬温泉がそうなのですが、そこの住民の平均寿命が短いということはありませんし、長いということもまたありませんし、有馬温泉に行った後にガンになった人が多いなんてことはまったくありません。
平均寿命に影響を与える放射線以外の要素が強すぎるから、データとして表に出てこないのです。
逆に言えば、有馬温泉程度の放射線量ではその程度の影響しかないということでもあります。

原発から出た放射性物質が関東・東北地方に飛び散っているという噂がありますし、実際、噂レベルではなく一部ではその実在を確認されています。
問題はそれが「危険な量」なのかという点、なのですが……
放射線の害を大きめに見積もると「わずかでも避けられるなら避けた方が良い」という見解に沿うことになり、ごくわずかでも飛んできていること自体がリスクであり、それは東電や国が補償すべきという話になります。
逆に小さめに見積もると「健康に与える影響はない、むしろ良いくらいかもしれない」という見解に沿うことになりますが、それは当局が被害を過少に見せる為に工作しているのだと考える人も少なからず存在します。
大きめに見積もれば国家財政は確実に破綻しますが、小さめに見積もると日本国政府への不信につながりかねません。
だからといって「健康に与える影響は分かりません」と正直に言えば「無責任だ」と批判されるのは目に見えています。

我々庶民が何をどう判断するのか、何を信じればいいのか。
それについてのはっきりした答えを出せる人はこの世にいないはずですし、はっきりした答えを示している人は単なる扇動者であり信用するに値しません。
では、どうすればいいのか……一人ひとりが考え、調べ、賢くなるしかないんじゃないですかね。


まず最初にやるべきことは「扇動的な言説は鵜呑みにしないこと」
私はそう考えます。

日本、米国両国民が扇動的な言説に乗った結果が先の大戦であり、両国とも判断を誤り、大量破壊兵器たる原爆の使用につながってしまったという歴史を忘れてはなりません。
posted by グリンゴ at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ガチな話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月02日

大阪王将のふわとろ天津飯

拿好(ナホ)って何?
naho.jpg
CHIMOのメンバーで、ちっこくてダンスがうまくて顔が丸くてセンター分けの子です。それは「凪帆」。


近所に『大阪王将』がオープンしたので行ってきました。
店舗情報|餃子の美味しい中華食堂 大阪王将

王将という名の中華料理屋チェーンは『大阪王将』(以下大阪)と『餃子の王将』(旧・京都王将、以下京都)があるのですが、大阪の方は京都の創業者の親類が始めたもので、つながりは一切ないそうです。でも大阪の餃子もおいしいですよ。

大阪も京都もあくまで「大衆向け中華料理屋」であって、決して「ラーメン屋」ではないという点は頭に入れておいた方がよいです。ノーマルのラーメンは至って普通の醤油ラーメンなので、期待して食べるとがっかりします。でも京都の方は「食べる価値なし」と断言できるほどのレベルなので、それよりはかなりましとは言えます。京都のはどうしてあんなにおいしくないんだ。同じ味であるはずの中華スープはおいしく飲めるのに。逆に唐揚げやチャーハンはかなりおいしい(店による)。


今回注文したのは「ふわとろ天津飯」と「餃子1人前」でした。天津飯が390円、餃子が210円。

まず「ふわとろ天津飯」。
「天津飯2.0」と大阪王将が豪語するオムライスみたいな「ふわとろ天津飯」を試食しました - GIGAZINE

食べる前には誤解していたのですが、「とろ」はあんかけの「とろ」でした。てっきり卵が「ふわとろ」なんだろうと思っていたのですが。そもそも、あんかけがとろとろなのは当たり前では?
卵はちゃんとふわふわしていました。よくある一般的な天津飯に比べて、乗っている卵はより分厚く、より柔らかい感じです。でもこの感じ、どこかで食べたような記憶もあるんですよね。オムライスじゃなくて天津飯としてどこかで食べたような…思い出せないのがもどかしい。
また、かに玉のような気の利いたものではなく、本当に全部卵で具らしきものは何も入らず、何も乗っていません。せめてグリーンピースか青ネギでも乗っていたら気分も違うのですが。
味は、さすが安定の王将クオリティ、普通においしい。特筆すべき特徴はありませんが、癖もないので誰の口にも合うものと思われます。たまにあんかけの酢がきつかったりする店がありますが、ここのはきわめてマイルドで、しかもちゃんと旨みがあります。想像と違って卵のとろみがなかったのは残念でしたが、でもふわふわなのは確かで、満足感の高い一品に仕上がっています。
でも、ご飯にまぶされているゴマは余計かなと。意外とゴマの存在感があるから若干違和感を覚えました。
期間限定メニューみたいなのですが、その後はふわとろでない天津飯を出してくれるのでしょうか?
なお、上の記事にある「鉄ラー油」は出してくれませんでした。店によって違うのかもしれませんが、ラー油の味に期待をかけている方はご注意を。

餃子は…これまた安定の王将クオリティ。適度にパリパリした皮、適度なサイズ、適度な量、適度な味。
前述した「鉄ラー油」はありませんが、当然ですが餃子用の普通のラー油は置いてあります。
京都が180円なのに対して大阪は210円。しかも京都のものより若干サイズは小さめです。でも、京都は焼き加減にバラつきがあってたまに外れに当たることもありますが、大阪では外れを引いた記憶がありませんし、ここも充分合格点が付けられる出来なので満足でした。
大分県内はに餃子が「高い、小さい」という店が多く、その点非常に不満に思っていました。特にうちの近所にある某とんこつラーメン店は、表だけ見るとそれなりに大きそうなのに、ひっくり返すとワンタンかと思うくらい小さい餃子を出しています。しかも値段はいっぱしの餃子と同じ。リンガーハットの餃子はおいしいものの、値段と量がイマイチ。
そういった店でわざわざ餃子を食べる気になれないくらい、王将の餃子は良心的でお得感があります。これは京都も大阪も同じです。
なお、京都とは違い、油まみれの厨房が丸見えということもありません。京都も最近できた大きめの店は綺麗ですけど。


メニュー全体の価格を見ると、京都に比べると若干高めかなとも思いますが、中華料理屋として見れば味と量と値段のバランスは取れていると思われます。
近所には『王府』があり、当面のライバルっぽく思えるのですが、どちらもいい店ですし、気分次第で交替で食べに行きたいという、そんな印象を持ちました。単純比較すれば王府がおいしいに決まっていますが、でも大阪にはチェーン店ならではの安心感とバリュー感があります。王府は量が多い分ちょっとお高めですし、複数人で行って取り分ける食べ方に向いているのですが、大阪は一人で行っても持て余すことはありません。
逆に『白楽天』の方は戦々恐々かもしれませんね。個人的には小奇麗で逆に入りづらいと思っていますし、メニューも値段もおそらくかなり被っています。方向性が近く、しかも197号線沿いの大阪王将に対し、白楽天の方は奥まったところにありますので、かなり危機感を募らせているのではないか…と勝手に思っています。麺類なら白楽天がおそらくおいしいかと。
リンガーハットは方向性が違うので客層はそんなに被らないかなという印象です。リンガーハットはちゃんぽんや皿うどんはお得なのにサイドメニューが全般的に高めなのがちょっと嫌。

今度行った時は焼きそば(中華なので五目焼きそばみたいな感じ)でも食べようかと思っております。
posted by グリンゴ at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする