2012年05月16日

わが回想録 創意・誠意の源流シャープ(著・平山秀雄)04

電波新聞『わが回想録』平山秀雄

創意・誠意の源流 シャープ<4>
早川徳次氏の世界(四)


 十九歳で"親方"となった

 シャープ七十七年の、人間なら「喜寿」にあたる長い歴史を静かにたどり始めて、早川さんの波乱に満ちた生い立ちと逆境にくじけぬ根性、そして優れた独創性に改めて驚かされた。
 余人には得難い独創的考案力は幼いころから徳次少年の頭脳に秘められた、まさに天性のものであったようだ。
 ある日、盲(めしい)の女行者が、ひどいママ母の折檻に耐える世界から、餝(かざり)職人の丁稚奉公へと徳次少年を連れ出した。
 八歳の少年はマッチの箱張りを職とする養家で、火鉢もない寒い夜も夜中の十二時まで働き、口ごたえをしたといっては、長屋の共同便所の壷に落とされるなど、想像に絶する地獄図から、井上さんといった女行者の温もりのある手に引かれ、金属細工の道をつかむ。
 「ヤスリひとつとっても、職人は手先で仕事をやってません。足の位置、腰のすわり、ひじから腕を決めて、初めて削り作業にはいります。道具や材料の置き場所もキチンと決めた人ほど仕事の出来栄えはすばらしい人でした」
 早川さんの思い出話のひとこまである。
 そんな名人芸の観察も、餝職人の親方に
 「炭の粉で材料磨きぽかりでは張りがない。ヤスリを使う仕事をやらせてほしい」
そう頼んだ少年を、親方は一喝した。
 「べらぼうめ、門前の小僧習わぬ経を読むってこと知らねえな。心がけのよくねえ野郎だ」

kaisouroku04-1.jpg

 "創意、考案の人"誕生

 この大喝が"創意、考案の人・早川徳次"を誕生させる機会となった。
 七年七カ月の年季奉公、その間の小遣いは、しめて四十八円六十三銭だったそうだが、少年はかはがえのない"宝物"を身につけた。
 明治四十二年四月十五日、忘れもしない。年季があけて八歳だった少年は十六歳、親方夫妻は赤飯をたいて祝う。
 給金五円で二年間"お礼奉公"をしていたある休日の昼さがり、浅草の活動写真館で徳次青年は無声洋画のドタバタ喜劇『いたずら小僧』をみる。
 主役の小僧のズボンの腰どめ金具がゆるんでいて、ずり落ちる滑稽さで、客席は爆笑の連続だったが、青年は「待てよ。穴をつかうからいけねえ、穴なしで自在に止める方法はねえもんかな」
 憑かれたように地金を削り、帯皮の戻りをコロで止める新案パックルの"尾錠"が生まれた。自分の名前の徳次から一字とって名づけたこの実用新案第一号の"徳尾錠"(25356号)をひっさげて十九歳の青年は東京市本所区松井町に間口一間半、奥行き二間の借家をもとめ独立、親方となった。
 大正元年九月十五日(創業記念日)のことである。


続きを読む
タグ:わが回想録
posted by グリンゴ at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

わが回想録 創意・誠意の源流シャープ(著・平山秀雄)03

--------------------
分かる人にはわかると思いますが、ブログのタイトル「考動記」の「考動」は、当時社長だった辻晴雄氏が社員に宛てたメッセージ「考動のヒント」が元になっています。
今の私は一般人で社員ではありません。
だから「ステマ乙」とか言わないように。
--------------------

電波新聞『わが回想録』平山秀雄

創意・誠意の源流 シャープ<3>
早川徳次氏の世界(三)


 ついに五割配当の快挙

 禍福はあざなえる縄の如し、とか。
 思いがけない組合の申し出によって、再建への突破口をつかんだ早川電機の労使は、まさに一丸の火の玉となって再建へ立ち上がった。奮い立った、といった方がいい。
 後年、早川さんはよくこの当時の回想談をしていたが 「組合の捨身の行だった。惜しい人たちを多く失った。今後二度とこの轍を踏んでは申しわけない」
 骨身に徹した痛恨事だったに違いない。あの当時から、目を見張る緊縮経営と、微底した数字的裏付け、厳格な原価計算が生産会議、品質会議へと反映されていった。
 そこへ降って湧いたのが朝鮮動乱(二十五年六月〜二十八年七月)である。その特需ブームに全産業が活性化し、滞貨が一掃していく。
 「青い山脈」「バラを召しませ」「イヨマンテの夜」そして美空ひばりの「悲しき口笛」「東京キッド」など懐かしのメロディーを流していた四球再生受信機、いわゆる"並四" (なみよん)は真空管を一本増やした五球スーパー式受信機へと向上、シャープのスーパーラジオがその先陣を切って堪爽とデビュー。
 おりしも二十六年四月、ラジオ東京など十六社に民間放送ラジオの予備免許がおりる。大阪NJB(現毎日放送)を先駈けとし、愛知の中部放送が開局して、市場購買力も一気に息を吹き返したばかりか、アメリカからは交直両用受信機の大量発注まで舞い込んできた。
 順風満帆、早川電機の株価はたちまち五十三円へと反転上昇、二十六年春の決算では「二割配当」を実現。忘れもしない、電波新聞への広告出稿もようやく開始となったのはこのころであった。
 ラジオ九州、朝日放送、京都、福井、北陸文化という具合に開局あいつぎ、業界はまさに"一陽来福"である。二十七年四月の講和条約発効をみた段階では十七局揃い踏みのラジオブームが到来、波頭に乗せて頂いて当社の経営基盤もようやく整えることができた。

kaisouroku03-1.jpg

ラジオブームが到来

 早川さんは還暦を忘れて東奔西走だった。
 「全国的に販売網の整備充実だよ。シャープ会を結成して、代理店との連携を密にし、販売奨励制度の復活だ」
 東京は赤門前の大野屋が早川さんの常宿であった。
 「やあ、よう見えられた」
 温顔満面にすてきな笑みを浮かべ、背筋をシャンと伸ばした丹前姿で、気さくに迎え入れてくれた。
 四万山話に花が咲いた。二十歳以上も年下の者の話に、真剣に聴き入り、いかにも技術経営者らしい質問と、人情味あふれる世事交流談とが交錯して時の過ぎるのを忘れたものだ。
 勤労所得が伸び、農作物の豊作が農村景気を呼ぴ、新しい消費景気を出現させた。ラジオの年産量は、前年の四十三万台が一挙に九十五万台となり、全国ラジオ聴取者一千万人突破のニュースのもと、早川電機は『株主配当五割』の快挙。
 二十七年上期初頭八十九円の株価は、下期に八百七十円の高値を呼ぷ。
 「平山さん。次はテレビだね」
 ふと早川さんがつぶやくように言ったのは二十七年の五月ごろだったか。早川さんの心は早くも米国視察へと飛んでいたのであった。

続きを読む
タグ:わが回想録
posted by グリンゴ at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月11日

わが回想録 創意・誠意の源流シャープ(著・平山秀雄)02

電波新聞『わが回想録』平山秀雄

創意・誠意の源流 シャープ<2>
早川徳次氏の世界(二)


 窮地に"至誠"天に通ず

 初めて早川さんに会ったのは、昭和二十五年の五月五日、私が『電波新聞』を創刊した直後の挨拶をかねた早川電機(シャープの前身)の大阪本社訪問の折であった。
 思えば、たいへんなタイミングの出会いであった。
 こちらはパイオニアの松本望社長に懇望されて、しからば…と立ち上がったばかりの新米社長。
 どうせ手を染める以上は"業界の明日"に貢献できるプレステージを…と部品メーカーからセットメーカーまでひっくるめての説得−−協力の旅に出たのだが、経済界はいずこも危急存亡の大激動の渦に巻きこまれていたのである。
 まずGHQ経済顧問・ドッジ公使による猛烈なデフレ政策のもと、補給金は廃止され、金融は引き締められて生産停滞、在庫増大の不況感に加え、猛烈な労働運動の火の手。将来への飛躍に備えた"再建への人員整理"がそこに油をそそぐ騒然たる世情であった。
 私が創刊した三日後の五月八日、日立ではあの倉田主税さんが、五千五百五十五人の整理を発表。戦後労働史に残る大争議が、連日の新聞を埋めていた。
 他聞にもれず、早川電機も二十四年春の売上高一億三千二百万円、純益四百万円の好業績が暗転、二十五年三月決算は五百万円の赤字計上、銀行借入金も一億円を超えて、前年五月大阪証券取引所の再開と同時に上場した株価(四十二円)はあっという間に、最低の十四円にまで転落してしまった。
 広告出稿どころではない。
 「どこの銀行も融資には応じんだろう」
 暗然とずる早川さん。当時、取締役経理部長の佐伯さんは三十四歳、早川さんは五十八歳。髪の白さも日を追って増し、張りさけるような無念の思いにかられておられるその最中であった。

kaisouroku02-1.jpg

 会社解散の危機に…

 シャープペンシルの発明で、勇躍花形企業となった大正十二年、三十一歳の早川さんは関東大震災で夫人とふたりの子息とともに、工場ぐるみ壊滅的打撃をうけ大阪に転じて二十六年、途中敗戦で軍協力の無線機の山が無駄となった中でも、シャープラジオの生産で切り抜けてきた早川さんが、打つ手を打ちつくしていた。
 「万事窮すか」
 そう覚悟した早川さんのもとへ、
 「社長、融資が受けられそうです」
興奮した佐伯さんの報告。きけば富士銀行を主体とした三和、第一(当時)協和の四行協調融資の条件は『人員整理』−−余人ならいざしらず"人の情こそ絶対の価値"を信条とする早川さんにとって「社員を失業者の群れに投じてまで延命をはかるつもりの持ち合わせはない」牢固たる意志であった。
 社員五百八十八人。
 「全員一蓮托生、会社を去ろうではないか」 早川さんは佐伯さんの労をねぎらいつつ、銀行団の条件を拒否する。そこに思いもかけない事態が発生した。
 「われわれの中から二百十人が希望退職をします。融資をうけ再建に進んで下さい」
 あろうことか労働組合代表の申し入れであった。「至誠天に通ず」であった。

続きを読む
タグ:わが回想録
posted by グリンゴ at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

わが回想録 創意・誠意の源流シャープ(著・平山秀雄)01

電波新聞『わが回想録』平山秀雄

創意・誠意の源流 シャープ<1>
早川徳次氏の世界(一)

 天理の空の下でいま…

 晩秋の一日、私は大阪阿倍野のシャープ本社から、古都奈良にほど近い天理丘陵の一角にきた。錦繍織りなす緑野に、純白の総合開発センターが、鮮やかなコントラストを描き出している。
 天理市櫟本町。"21世紀への知能"を求めるシャープの基礎研究の脳髄がここで躍動しているのだ。 高度情報化社会の実現に奉仕する新しい羽ばたきを、二十年前、あの早川徳次さん(創業者・故人)は熱っぽく私たちに説かれたものだ。
 折しも北摂の千里丘陵では日本万国博が開かれ、各社のパビリオンがけん(女偏に研の右側)を競う中で、早川さんはこの技術本部の建設完成に全力を投じていた。
 「エレクトロニクスこそ無限の未来をもち、将来どこまで発展するか想像もつかない」
 こう確信した早川さんはアポロ11号の製作に貢献したノースアメリカン・ロックウェル社と技術提携、ELSI(エルシー)の量産を早くもめざしたのである。
 ICをさらに小型化、精密化した多相大規模集積回路の三ミリ角基盤に、トランジスター、ダイオード、コンデンサーなど電子部品千八百七十五個分を圧縮する世界に、早川さんはポケットに入る電卓を夢見たばかりか、産業用磯器、医療機器、太陽電池からオプトエレクトロ
ニクスへの展開を"わが使命"とイメージしていた。昭和四十五年のことである。
 「人の行く裏に道あり」
 「他(よそ)がマネをしてくれる製品を」
早川さんの口ぐせであった。そして「常に"次"をつくる心がけを忘れず、長たるものは、常に自分以上の人材を育てたい」
 この処世訓そのままに、この年、社名を早川電機からシャープ株式会社と改称。開発センター内に中央研究所、ELSI工場、技術研修所の完成を見とどけるや、創業五十八周年記念日の九月十五日会長に退き、後任社長の座を少年期から手塩にかけた佐伯旭さん(現相談役)に譲り渡す。
 鮮やかな交代劇であった。
 『創業と守成いずれが難き』
 この唐の太宗が残した帝王学の課題は、事業継承の根幹につながるものであるが、それを口にする人は多い半面、機を失してひんしゅくを買うケースまた枚挙にいとまがない.

kaikoroku01-1.jpg


 光る創業者メルヘン

 早川からシャープへの"機先"を制したまさに絵に描いたような『致良知』のドラマは、その後のシャープ経営哲学にみごとに継承され、しかも創業者が描いた技術のメルヘンを、まるでジグソーパスルを組み合わせるように、後継者たちが次々と的確に現実のものとしているのも一驚のほかはない。
 いま、この号から早川徳次さんをめぐる回想を通じシャープの現況へと筆を進める機会を得た。折しも十一月三日は、懐旧の情ひとしおの早川徳次さんの誕生日であった。
 「明治大帝とご一緒でね」
 「文化の日」となった戦後、幾分はにかみをまじえながらにこりとされたあの柔和な笑顔が、天理の空に大きく浮かんだ。

続きを読む
タグ:わが回想録
posted by グリンゴ at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わが回想録 創意・誠意の源流シャープ(著・平山秀雄)00

私の手元にとある記事の切り抜きがあります。
それは『電波新聞』に連載された、平山秀雄氏が著した一連のコラム『わが回想録』のうち、シャープ創業者の早川徳次氏に関する回のものです。
実は職場の掃除をしていた時に「捨てていいよ」と言われていたもので、このまま人目に触れずに埋もれてしまうのは実にももったいないと思ってパチってきたものです。
連載後、一冊の書籍にまとめられたようですが、すでに絶版となっているようです。
でも、非常に示唆に富む内容で勉強になりますし、どうせなら多くの人にこの文章を知ってもらいたいと思い、テキスト起こしをしました。
全59回(第22回は手元になし)ありますので、1回ごとにエントリーを立てます。
古いものなので肩書き等当時のものとは異なっていますが、そのまま掲載します。

※法的に問題があるのは分かっていますが、著作権者から指摘されたら削除します。続きを読む
タグ:わが回想録
posted by グリンゴ at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

2012年4月22日 プロレスリングFTO@トキハわさだタウン

大分のローカルプロレス団体、プロレスリングFTOの無料イベントがトキハわさだタウンであったので見に行ってきました。
いや、正確には、乃木坂46を見に行ったらそこでFTOの試合をやっていたのでついでに見ただけなのですが。

プロレスリングFTO


第1試合:
レイ・パロマ(広島・ダブプロレス) vs アステカ(福岡・華☆激)

asteka.jpg

他のローカル団体から参戦した選手同士の試合。

ダブプロレス公式 blog

プロレスリング華☆激

アステカが代表を務める「華☆激」は、4月30日 さざんぴあ博多で行われる興行で、QunQunの井上りな(りなぽん)がリングアナをやる予定になっています。
アステカは主に大阪プロレスで何回か見たのですが、最初に見た時は「今日は本調子ではないのかな?」と思ったものの、何度も見ているうちに「ああ、もともとこの程度なんだ」と分かりました。
新日本プロレスの獣神サンダーライガーが高く評価しているのが疑問なのですが、選手サイドから見たらわりといい選手なのかもしれません。
でも、メキシコのプロレス「ルチャ・リブレ」をベースにしているわりにジャベ(関節技)のバリエーションが乏しく、空中殺法もありませんし、巻き投げも回転受け身もそんなに巧くはなく、見ていてつまらない試合をしているのは確かで、一般のファンに評価されるタイプではありません。
日本での派手なイメージとは違ってベタベタのルチャ・リブレは地味なものですが、それを差し引いてもつまらないです。
華☆激出身者には秀吉、ビリーケン・キッド、GENTARO、筑前りょう太など、インディペンデント団体界隈ではそれなりに名の通った選手がいるのですが、一般的な評価という点でアステカは完全に置いて行かれている感があります。
グラウンド主体でも別にいいのですが、それならジャベの技術をもっと磨くべきですよ。
ソラールとは言わないまでも、せめてミラノコレクションA.Tくらいのバリエーションがあればエースとして恥ずかしくないレベルの試合ができると思うのですが。

「ダブプロレス」という団体は今回初めて知ったのですが、知っている選手がティグレ・オリエンタルしかいませんでした。
それも知っているのはリングネームとマスクだけで、実際に見た記憶はありません。

今回参戦したレイ・パロマは、沢田研二の「ストリッパー」を入場曲につかっていました。
ファイトスタイルもそれに合わせた“ヌルヌル”な感じを取り入れていますが、いささか中途半端だったかもしれません。
それらしいムーブはレッグロックの時のポージングくらい。
もっと露骨に、思い切りエロティックにやってもらった方がいいと思いますね。
それと、男性ストリッパーをモチーフにするならもっと筋肉美を意識すべきでは。
身長・体重共に一般人並ですし、その上鍛えていないのではまるで学生プロレスです。

この試合も地味で特筆すべきものは何もありませんでした。

○ アステカ(垂直落下ブレーンバスター→プランチャからピンフォール)パロマ ×


第2試合:
魁(ダブプロレス) vs バトル・シャーク

シャークの『みんなでバトルしようぜ!!』ブログ

shark.jpg

第1試合よりさらに地味な感じで、盛り上がりに欠けました。
バトル・シャークはTNAのシャーク・ボーイっぽいのかと思ったら全然違いました。
"Give me a shell yeah!"を待っていたのに…
まあ、仮にやったとしても、ショッピングセンターのイベントでは"Shell yeah!"と返す人は私くらいしかいないでしょうが。
ただ、特筆すべき点はないにしても、試合そのものはベーシックスタイルでそう悪いものではありませんでした。
閉鎖空間であれば充分盛り上がったのではないかと思うのですが、いかんせんプロレス観戦そのものに慣れていない買い物客ばかりの中では、「おおっ!」と思わせるような動きがないことにはなかなか盛り上がらないのも致し方ありません。
でも「裏4の字+ヒールホールドのミックス」は気に入りました。私はそういった技が好きです。

○ 魁(ラリアットをかわしてからのスクールボーイでピンフォール)シャーク ×


第3試合:
ダークサイド スカルリーパーA-ji&二代目 上田馬之助 vs ジャスティス(KAZE & xXXx)

スカルリーパーA-ji(エージ)はFTO代表。
死神の鎌を装備しての入場でしたが、これを凶器に使うことはなく、チェーンくらいしか使っていませんでした。
二代目 上田馬之助(正式なリングネームに「二代目」はつかないはず)は、風貌やリングタイツはやはり初代をモチーフにしています。
凶器攻撃は鉄の栓抜き(今どきよく見つけてきたね)や竹刀で、これも初代のオマージュ。
使う技も河津落としやモンゴリアンチョップなど古典的なもので、さすがに初代公認ななだけあります。

ジャスティスのKAZEとxXXx(フォーエックス)は、マスクやリングコスチュームこそ派手ですが、背は低いし体はダルダルだし、あれでベビーフェイスをやっているのは無理があります。
ベビーフェイスはかっこよくなければダメ。
ヒールの方がかっこいいというのでは何のための善悪対立構造なのか分かりません。

試合の方はさすがメインだけあってそれなりに見応えがありました。
…途中までは。
場外乱闘は客層を考えて控えめにしていたようでしたが、ちゃんと椅子だの竹刀だのを駆使した古典的なヒールファイトを展開していましたし、ベビーフェイスがそれに耐えつつ正統派の技で反撃するという、実に「正しい」プロレスが行われていて、なかなか面白かったんです。
でも、フィニッシュがいただけない。
座った状態の相手の頭を蹴ってそれで終わりでは、非プロレスファンに届く試合にはなりません。
もっとヒールらしい悪辣な方法で試合を終えてほしかった。
ジャスティス側に見せ場が少なく、終わってみれば一介のジョバーにしか見えませんでした。
ヒールがずるい勝ち方をして、ベビーフェイスが「もう一回やってやる!」これがプロレスというものです。
それから、誰だったかフライング・クロスチョップを使っていたのですが、メキシカンがやるのはクロスチョップではないんですよ。本当はヘッドバットなんですよ。
その辺、特にジャスティスの二人にもっと「正しいベビーフェイス像」を追及することを求めたいと思います。

○ A-ji(ハイキックからピンフォール)xXXx ×


自分は基本的にプロレスファンですが、特にこういうオープンスペースでやる場合、非プロレスファンが見てどう思うかという点も意識して見るようにしています。
プロレスファンとしては「まあまあだった。メインはなかなかオツでした」という評価になりますが、結果的に乃木坂46が出てきた時の盛り上がりには遠く及ばなかったというのが実際のところで、世間に届くようなプロレスが魅せられたとは言えません。
乃木坂46だって世間的な知名度はまだまだ、しかも当日発表のゲリラ的なイベントで、熱狂的なファンが集まっていたというわけではないのですから。
ほとんどのお客さんは、FTOも乃木坂も知らない一般人です。

FTOがクラシカルなプロレスを志向しているのは伝わってきました。
そこはすごく良かったとは思うのです。
ただ、これをきっかけにFTOの試合に足を運んでくれる人がどれだけいるかと考えると、やっぱり物足りなかったと言わざるを得ません。
そのためにはある程度ショーアップが必要でしょうし、プロレスならではの「凄み」を見せつけられる試合をやらなければなりません。

辛辣な書き方になってしまいましたが、それは世間に伝わるプロレスをやって、ファン層の拡大につなげてほしいという願いを持っているからです。
せっかく観客が3000人(主催者発表)も来てくれたのですから。その中から何人かでもプロレスファンになってくれたら底辺が広がるではありませんか。
私はそれを期待していたのです。
スカルリーパーA-jiや上田馬之助はなかなか良いものを持っているのですから、ベビーフェイスがそれに応えられるような試合をできるようになってほしいと願います。

skullmanosuke.jpg
posted by グリンゴ at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | プロレス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月16日

2014年4月14日 デンザイ東亜まつり

4月14日「デンザイ東亜まつり」にチャイモが出演したので見に行ってきたのですが、アイドルブログに書けなかったところをこちらに書きます。


うちの最寄駅から別府までJR九州、そして亀の井バスでビーコンプラザまで。
JR九州はいつになったら県内の駅でSUGOCAを使えるようにしてくれるのかな。
バスは全県的にnimocaが使えるようになっているのに。
大分バスと大分交通の乗継でも割り引きしてくれるnimocaはありがたいと思う半面、共通バスカード廃止で実質的な値上げになっているのは萎え。

ビーコンプラザといえば、bjリーグ(バスケットボール)の大分ヒートデビルズ、Fリーグ(フットサル)のバサジィ大分が頻繁に試合を行っている会場であり、また新日本プロレスが別府での興行に使う会場でもあります。
展望台付きの巨大な「グローバルタワー」は別府を代表するランドマークです。
でも別府は山上からの眺望が良すぎるので、別府タワーよりずっと高いこの展望台をもってしても「見下ろされる」感じがして、その山上からの眺めが大分自動車道の別府湾SAで見られるようになっている今となってはあまり楽しくなかったりします。
もう一つの展望台付き「別府タワー」はもっと低いのですが、その分海の眺めは素晴らしいものがあります。
とはいえ、海を眺めるならゆめタウンの駐車場でもいいわけで、こちらも価値が下がってきているというのが実際のところです。
それでも名前で観光客は騙されるわけですが。


『デンザイ東亜まつり』は、デンザイ東亜という会社のお得意さんを招待して楽しんでもらうための企業祭でした。

デンザイ東亜

ウェブサイトには「パナソニックほぼ100%出資の電気設備資材の総合卸売業」とあったのですが、どう見ても一般人(非業界人)と思しき人たちがお客さんの大多数で、家電の販売等もしている様子が伺えました。

入場受付で記念品を配っていたりしていたのですが、私はお得意様でもなんでもないので必然的にスルーすることに。
事前に入場自由と聞いていたのですんなり入れましたが、それを知らなかったら気おくれして入れなかったと思います。

会場内にはいろんな企業のブースがあり、住設だの電材だのを紹介していて、だから実質的には展示会のようなものだったとも言えます。
商品カテゴリは違いますが、インテックス大阪やヤフードームあたりでやっている自動車やエレクトロニクス商品のショーと似たような雰囲気です。

私は展示会が大好きで、会社勤めしていた頃から使いもしなければ購入権限の無いようなものを見て回ってはカタログをもらって、あとで眺めて楽しんでいました。
自動車やエレクトロニクス機器の展示会が好きな人はいくらでもいるでしょうが、計測器や工具が好きな人はあまりいないと思いますが、でもやってみると楽しいんですよこれが。

ただ、今はしがない療養中の身。LED照明や太陽光パネルなど住設は借家暮らしで関係ありませんし、工具や計測器だって買っても使い道がありません。
企業の人が一生懸命商品説明しながらカタログや名刺をくれたりしたのですが、実は無関係の一般人であることを隠しながら話を聞くのは二重の意味で辛いものがありました。
それでも「技術」が好きなので見て回らずにはいられなかったんです。
さすがにドリルやネジのブースはスルーしましたが…

まあ、そんな思いをしなくても楽しめるブースはたくさんありました。
パナソニックのブースが会場中央にあって一番広かったのは当然と言えば当然のこと。
家電量販店の価格を見慣れていると「パナソニックの家電は高いなあ」と感じてしまうのはご愛嬌。
でも、お得意様ならけっこうな値引き価格で買えますし、これまでの購入実績でもらえる金券で更に値引きされたりしていたのですが、私はお得意様でもなんでもないので意味のないことでした。
ただ、さすがに「ルンバ」にだけは心惹かれるものがありました。
もちろん「ばっかじゃなかろかルンバ」ではなく、例の全自動掃除機のことです。
私も不精なもので掃除機をかける回数が少なくてよく埃が溜まったりするので、これがあったらとりあえず床は片づけるし、掃除も楽だろうなぁとも思うのですが、ちょっとお値段が財布に優しくないのがつらいところ。

私に少しだけ縁のあったシャープエレクトロニクス販売もブースがありました。
が……私が言うのもあれですが、どうもシャープはこういった催し物における訴求力が弱い。
担当者の説明もなかなかやる気ナッシングで、悪い意味で「昔と全然変わってないな」と思ってしまいました。
液晶テレビに関しては、正価(オープン価格なので定価はない)ベースでここまで安くなっていたのか、これじゃ儲からないわけだわ、と感じてしまいました。

工具や計測器に関しては書いても誰もついてこられないでしょうから割愛。

純然たる展示会ではなく企業祭ですから、定番の模擬店もありました。
りゅうきゅう丼(魚の“づけ”を白米にかけた海鮮丼の一種)や中津から揚げも売られていておいしそうだったのですが、私はなぜか揚げたこ焼きとフライドポテトをチョイス。
揚げたこ焼きはまあ普通でしたが、フライドポテトはホクホクしているモスバーガー風で妙においしくて、しかも100円でしたから「これは激安だ!」と感動してしまいました。夜店だと200〜300円で売られていますからね。

会場内には家族連れが多く、小さな子もたくさんいました。
私は小さい子供も大好きなので(危ない意味ではない)、子どもたちの笑顔を見ているだけでもなんだか癒される感じがしました。

チャイモのイベントも楽しかったし、展示会もしっかり堪能しました。
あまりにも楽しかったせいか、(内蔵が弱いのと薬を飲んでいるから)普段は飲まない樽酒(ふるまい酒)まで飲んでしまいました。
最初は「ちょっとだけ」と思って遠慮がちに飲んだのですが、結局ちょっとを積み重ねて1合升の8割程度飲んでしまいました。
この後西大分駅に戻って県立図書館まで20分くらいかけて歩いて行ったのですが、その道のりのしんどいことしんどいこと。
でも、後先考えずに酒を飲んでしまうくらい楽しい一日になったのは確かです。

きっかけがなければ行くことのなかったこの企業祭に行けたのもチャイモのおかげ。
ありがとうございました。
posted by グリンゴ at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

東日本大震災から1年

2011年3月11日の東日本大震災から1年が経ちました。
地震の速報を見た後、NHKやネットのニュースサイトに出てくる情報に「これはただ事ではない」と感じたのを覚えています。
というのは、地震の規模に対して被害情報があまりにも小さかったからです。
この流れは、阪神淡路大震災の時にもたらされたのと同じでした。

阪神淡路の時は、私は奈良に住んでいました。
奈良でも相当揺れたのですが、直後にテレビのニュースを見た時点ではその深刻さに気付いていませんでした。
朝二度寝して8時前に起きてテレビを点けた時点でも、まだ気づいていなかったのです。
(会社の寮に住んでいたので遅くまで寝ていられた)
事態の深刻さが分かったのは、昼のニュースを見た時です。
その日は時間を追うごとに死者・行方不明者が増え続けました。
昼の時点で500人くらいだったものが、帰宅すると1000人を超えており、夜寝る前には2000〜3000人くらいになっていたと記憶しています。

東日本の時はその経験から、初期に伝えられた被害状況は、現地が混乱して正確な情報が上がってきていないのだろうと推測していましたし、それは実際に当たっていました。
ただ、その後の津波があれほど甚大な被害をもたらすとまでは、さすがに想像していませんでした。
東北の太平洋岸に幅広く表示された大津波警報、そしてそして太平洋側の海岸線全域を覆う津波警報・注意報の帯は、その危機的状況を如実に表していたと言ってよいでしょう。
その警報も、地域によっては発令された時点で「まもなく到達」ないし「到達済み」と予想されていました。

その前年にチリ地震に伴う津波があり、実際に襲来したものと比べて予報が過大であったということで気象庁が謝罪したことがありました。
私はその時点で「被害を大きめに見積もることは安全確保の為には有効で謝罪には及ばない、しかしこれが繰り返されることで感覚が麻痺してしまう危惧がある」と考えていました。
今回の津波が小さかったからといって、今後も小さいとは限らないし、その時の映像を見て津波の力を軽く見る人が出てくるのではないかという不安も持ちました。
それなりに危機感を持っていた私でも、まさかあれほどのすさまじい津波が襲来するとはまったく想像していませんでした。

あまりにも異常な光景は現実感を麻痺させます。
9.11、米国同時多発テロの時は、何が起きているかはテレビの映像を見て判っていても、それを自然な感情で理解できないという不思議な感覚に襲われました。
阪神淡路大震災の時は、思考と感情をシンクロさせるだけの十分な時間があったせいか、そのような感覚には陥っていませんでした。
東日本大震災では、9.11のような遊離感覚に陥ったことを覚えています。
映画の大津波は映像的な美しさがありますが、それはあくまで作り物です。
作り物の方がすんなり理解できて、現実に起きたことの方が理解できない。
これは、きっと「人間の思考は自らの想像力を超える状況を受け入れるのに時間がかかるから」だと思っています。

震災をきっかけに自分の中で何かが変わったのかというと、変わった部分もあり、変わっていない部分もあります。
ひとつはっきりしているのは、震災を境に「虚無感」が強くなったという点。
自覚しているものの中ではそれが一番大きいと思います。
生きる上で必死でもがくような部分が以前よりもずいぶん落ちたのを感じています。
すっきり頭を切り替えられたらいいんですが、それを一年間ずっとひきずってここまで来てしまいました。
さすがに一生このままではいけないと思うので、前進していかないと。


なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、なんとなく疲れてしまったのでこの辺で。
posted by グリンゴ at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

アネクドート

このアネクドート面白い。

--------
教師「資本主義国家の現状を述べなさい」
生徒「はい。アメリカ式資本主義経済は、今まさに崖っぷちにあると言えます」
教師「よろしい。では、我が社会主義国家の現状はどうかね?」
生徒「はい。我が国家は、常にアメリカよりも一歩先へ進んでおります」
--------
posted by グリンゴ at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

「鈍牛」のしたたかさ

言葉というものは面白いもので、使う人の立場や文脈によって、褒め言葉にも貶し言葉にもなるものがあります。
「鈍牛」もその一つ。
政治家で、首相を務めたこともある大平正芳さん、小渕恵三さんが「鈍牛」と呼ばれていました。
(いずれも在職中に病魔に倒れたという共通点もあります)


貶す言葉として使う場合、こんな意味になります。

動きが鈍い。慎重すぎて決断力に欠ける。即断即決ができない。
反応が鈍い。曖昧な答えではぐらかす。
歩みを止めない。頑固。
洗練されていない。野暮ったい。
先頭でリードする役割には不向き。リーダーシップに欠ける。


褒め言葉として使う場合、こんな意味になります。

着実に歩を進める。粘りがある。ぶれない。確実にやり遂げる。
人柄が穏やか。
先走らない。冗句がない。発言が慎重で信頼できる。
落ち着きがある。うろたえない。慌てない。
角がある。一見穏やかだが本気になると非常に強い力を発揮する。


とりあえず思いつくのはこれくらい。
政治家という立場で考えた場合、リーダーシップに欠け、リップサービスをしないことからあまり国民的人気は得られないイメージがあります。
ただ、小渕さんの場合は首相就任後には「ブッチホン」と呼ばれた直電話をするなどして、人当たりの良さをアピールしていました。これはおそらく誰かの入れ知恵なのでしょう。
そのため、親しみやすいイメージを国民に与え、在任中は比較的高い支持率を維持することに成功しました。
一方、大平さんの場合、答弁や記者会見の場で話す時に「アー、ウー」と口ごもる癖が有名で、「はっきりものを言わない」というイメージを持たれていました。
但し、大平さんの話し言葉は「文字起こしした時にほとんど手を入れなくていい」と言われていました。
普通の人の場合、話し言葉は文法が崩れていることが多いのですが、かしこまった場における大平さんの言葉は常に正しい文法が用いられていたというわけです。


英語にも "Holy sit!" という言葉があります。
アメリカンプロレスを見ているとよく出てくるので、知っている人もけっこういると思われます。
これは直訳すると非常に汚い意味なのですが、肯定的に用いられると「超すげえ」という意味になります。

オーウェルの小説『1984年』に「ダックスピーク」という言葉が出てきます。
「ダック」は「アヒル」、「スピーク」は「話」です。
これは、敵に用いられるときは「騒がしい、がなり立てる」という否定的な意味で、党の指導者に用いられるときは「雄弁」という肯定的な意味になります。

言葉は解釈によって良くも悪くもなる。
「ありがとう」は常に良い言葉であり、「ばかやろう」は常に悪い言葉であるとは限らないのです。
言葉をどう理解するかは、話す者、書く者、そして読む者、聞く者の心掛け次第。
posted by グリンゴ at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする